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赤坂ショールーム
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BLACK SWAN MOMENTS 08/13

IMPRESSIONISM

「本当の印象主義とは写実主義的である。それをわからない人が、とても多い。
これらの人々は、他の人が生み出した、既成化された概念を信じ込み、真実を見ようとせず、ありふれた考えに依存して、何も見ずに歩いているのである」
 ーチャイルド・ハッサム、印象派の画家

現在私たちが知っているように、印象主義のムーブメントは美術の世界に新しい地平を切り開きました。アーティストたちの、まったく新しいムーブメントがそこから生まれ、絵画から文学、写真にいたる、あらゆるアートにその表現方法が波及しました。

しかし、一群のアーティストが、どのようにして世界全体に影響を与えることができたのでしょう? 彼らの作品が、なぜブラック・スワンモーメントとなったのでしょう?

印象主義が産声を上げたのは1874年。フランス画壇における写実主義的スタイルの「権威」であった、芸術アカデミーに反旗を翻すものとしてでした。アカデミーは毎年、「サロン・ドゥ・パリ」と呼ばれる展覧会を催しており、その作品がサロン・ドゥ・パリに展示されれば、画家として認知されたことになっていました。この展覧会は無名の画家の登竜門であり、そこに展示されることで、画家の評価は一気に高まったのです。

しかし、アカデミーの影響下にあることをよしとしない画家たちが登場するまでには、長い年月は必要ありませんでした。パリの画家たちのグループが、自分たち自身で展覧会を開いたのです。しかし、パリの大御所たちにはあまり受け入れられませんでした。

モネやドガ、ピサロ、セザンヌといった画家たちは、「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他による匿名協会」と呼ばれていたグループに参加していました。このグループは、展示会を共催していた画家グループのなかでも、おそらくもっとも有力なものでした。それからの12年間に、グループは自分たちの作品を8回にわたって展示しました。

彼らのスタイルには、写実主義者のような、細部へのこだわりは見られませんでした。「高貴」とは思えないような生活の側面を捉えた、モネやセザンヌなどの作品は、サロンから繰り返し拒否されました。その時点では、アートは上流階級のためのものであったのです。モネは、軍隊を除隊するために絵を勉強したパン屋の息子であり、アカデミーに受け入れられるような高貴な生まれではありませんでした。

モネの「草上の昼食」(1863年)がサロンによって落選とされたとき、そのニュースが美術界に大騒動をもたらしました。伝統的な美術ファンであっても、そのニュースには首をかしげたのです。当時のフランス皇帝であったナポレオン三世は落選作品の多さに驚き、アカデミーに拒否された作品の展示会である「落選展」を開催しました。美術世界に対するサロンの影響力は衰退しつつあり、すでに名声を獲得していた批評家や評論家はそれを好ましく思っていませんでした。

実際には、印象主義のムーブメントに名前を授けたのは、そのような批評家の1人でした。モネの「印象・日の出」(Impression, Soleil Levant)をあざ笑い、彼らの作品は、「未完成のスケッチ」に過ぎないと書いたのです。

 


「印象まさにその通りであった。印象を受けたのだから、そのなかになんらかの印象があったはずだ、と私はひたすら自分に言い聞かせていた...それに、何という自由さ、何という安直な作り!

作りかけの壁紙のほうが、あの海の絵よりは完成度が高い」

ルイ・ルロワ、批評家


しかし、印象派の画家たちは、批評家たちに管理されるのを拒みました。その姿勢ゆえに、彼らのムーブメントは大きく波及したのです。

アーティストたちは、印象派の画家たちさえも上回るような技術と手法で実験を行い、その後に続くムーブメントとなる、アートの革命をもたらしてきました。


印象派は、アートの世界の流れを変える触媒となり、今日も生き続けています。印象派の作品は、長い間、世に受け入れらなかったアーティストたちの力となりました。このような反抗があったからこそ、偉大な文化的革命がその後も生まれたのです。印象派の画家たちが「受容されている」スタイルに疑義を挟んでいなかったら、ウォーホールのようなアーティストやデヴィッド・ボウイのようなミュージシャンは、あんなにもユニークな作品を生み出していたのでしょうか?