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BLACK SWAN MOMENTS 04/13

MP4/1

1981年3月15日アルゼンチン。グリッドに並んだマクラーレンのマシンの1つがFormula 1™の歴史を永遠に変えようとしていました。MP4/1の革新的なデザインは     そのライバルだけではなく、軍事、そして宇宙旅行にまで影響を及ぼすことになった のです。

 

ロン・デニスによりマクラーレンのチームに起用されたのがジョン・バーナード。ユニークで斬新なこのマシンの特徴を支えた、先見の名のある人物でした。特徴とはつまりカーボンファイバーコンポジット製のモノコック構造です。それまでアメリカでパーネリやシャパラルと共にインディカーのために仕事をしていたバーナードにはFormula 1™の経験はそれほどありませんでしたが、これがおそらく最大のメリットでした。まったく新しい切り口からスポーツにアプローチすることができたのです。

バーナードは長年、カーボンファイバーコンポジットの利点について聞いていました。その並外れた強度と軽量性はFormula 1™にはぴったりのように思われました。バーナードが尊敬していたのが、およそ20年前にモノコックシャーシを導入したロータスの主任デザイナー、コーリン・チャップマン。これがカーボンファイバーの特長と結びつき、史上初となる100%カーボンファイバーコンポジット製モノコックの着想につながりました。

ではなぜMP4/1のシャーシは画期的な発明だったのでしょうか?これが‘ブラック・スワン’モーメントだった理由とは?

 

バーナードのモノコックは大きな物議を醸し、多くの疑いの目が向けられました。チャップマンも含め、業界のリーダーたちは、議論の中でまずドライバーの安全を懸念し、いつ大参事が起きてもおかしくないと考えました。多くの人が考えたのは、衝突が起きればこのシャーシは真っ黒焦げの塵となる、ドライバーの命が救われる可能性はごくわずか、または皆無だということでした。

常に時代の先を行くマクラーレンは、ユタに拠点を置く、最先端の大胆なプロジェクトの研究開発で知られるハーキュリーズ社とチームを組み、このアイデアを押し進めました。こうして初めてのカーボンファイバー製モノコックが誕生。少々粗削りでしたが、バーナードの期待以上の強度でした。実際、最初の試作品は強度がありすぎるとされ、コンポジット層が除去されましたが、それは軽量化につながっただけでした。理論的には素晴らしいものでしたが、マクラーレンとジョン・バーナードの発明に対する安全性の懸念は消えませんでした。

 

1981年のシーズン開始当初から期待されていたわけではありませんでしたが、マクラーレンの成績はレースを重ねるたびに伸び、瞬く間にこのマシンのメリットが明らかとなりました。同年のシーズン中盤までには、マクラーレンのドライバー、ジョン・ワトソンがスペインとフランスで表彰台に上がる成績を叩き出し、最終的にはシルバーストーンで優勝。これはマクラーレンにとって4年ぶりの、そして、カーボンファイバーコンポジットのマシンでは初めての快挙でした。

その後、MP4/1にとっての本当の試練となったのがモンツァでのレース。ジョン・ワトソンが2つの高速コーナーのあるレズモ・コーナーでスピードを上げた時、マシンは140mphのスピードでコースを外れたのです。他のドライバーが衝突を避けるためにハンドルを切る中、コースからフェンスに全力で突き進んだワトソンのマシンは大破。エンジンとトランスミッションは吹き飛びましたが、ボディはコースの反対側に留まりました。残されたのは無傷のカーボンファイバー製モノコックに座るジョン・ワトソンのみ。ワトソンはマシンから抜け出し、その場から歩いて立ち去ったのです。

批判していた人々は言葉を失いました。ジョン・バーナードとマクラーレンは、ありえないことを可能にしたのです。その事故以来、Formula 1™の世界では急進的なマクラーレンの考え方が認められて採用されただけでなく、モーターレースの世界以外でもカーボンファイバーコンポジットの可能性に目が向けられるようになりました。MP4/1は新時代の幕を開け、カーボンシャーシは、Formula 1™での安全性に大きく貢献する唯一のシャーシとなりました。

 

史上最高のF1マシンのひとつ、マクラーレンのMP4/1はこうして生まれました。1988年シーズンでは16戦中15勝を挙げ、アイルトン・セナをワールドチャンピオンへと導き、最終的にグリッドに並んだ他のチームの合計ポイントとの差はわずか2ポイントという圧倒的な成績でシーズンを終えました。

シャーシの設計と構造に対するこのアプローチは非常に革新的でした。その証拠に、レーシングカーでもロードカーでも、MP4/1以降、マクラーレンが生み出すマシンは基本的にはすべてカーボンシャーシとなったのです。